阪之上小学校講演会レポート
小林虎三郎と米百俵スクール〜

                                  孜孜の会 今井謹之助

この話は、孜孜の会の「米百俵スクール」について話が聞きたいという一通のメールから始まりました。
阪之上小学校では、4年生の総合学習の一環として、「現代にも虎三郎の考えは生きているか?」をテーマに、「虎三郎の考えに共感してガーナからやってきたアウニさん」、「米百俵財団」、「孜孜の会」の三グループに分かれて研究していたからです。

学校との打ち合わせで、平成12年12月1日にお話をしに行くことになりました。

◆12月1日

@自己紹介と孜孜の会の成り立ち、そして、今回の米百俵プロジェクトについて大まかに説明をしました。

A小林虎三郎の生きた130年前とは、今からたった5世代前で、ほんの昨日の出来事だということを話しました。(4世代は同じ時代を共有している)

Bカンボジアでの米百俵スクールの開校式の様子を話しました。

45分間の中での話で、当日はこの程度で時間切れとなりました。私の話が不十分な為、子供たちから新たな疑問が出され、再度話をすることになりました。

◆12月11日

今回は私のほうから一方的に話をし、後で、質問を受けるという形にしました。

@〜小林虎三郎の真の偉大さについて〜

明治維新当時の武士階級の知識水準からすれば、国を興す為には教育が最も大切だということはほとんどの人がわかっていたはずです。しかし、あの極限状況の中で、このことを実行できる人が果たして何人いたかということです。自分自身が当時の小林虎三郎の立場(長岡藩大参事)にあったと考えたとき、飢えに苦しむ藩士やその家族(ほとんど顔見知りのはずです)に米を分配せず、学校を建てることが果たしてできたかどうか。私にはとてもできそうにありません。いや、小林虎三郎以外誰にでもできないことだと思います。心を鬼にして教育の重要性を身をもって実現した虎三郎の心情を思う時、彼の偉大さが真に実感できるのではないでしょうか。
また、見過ごしてはならないのが、小林虎三郎の考えを最後は受け入れた長岡藩士のことです。最初は当然のごとく米の分配を要求しましたが、「常在戦場」の家訓を思い出し、今を我慢して自らの世代は捨石となっても、子孫の代の繁栄にかけた当時の長岡藩士も小林虎三郎と同様に偉かったという事です。

絶対あり得ない事ですが、もし、今のカンボジアでフン・セン首相が虎三郎と同じ事をすれば、彼は間違いなく殺されてしまうでしょう。それほどこの米百俵の故事は稀有の出来事であるということを理解してもらいたいのです。

A〜米百俵の精神を伝えるということ〜

我々は、米百俵の精神を今最も教育を必要としているカンボジアに伝えようと思いました。カンボジアが将来立派に復興した時はこの米百俵の精神を是非他のもっと貧しい国に伝えてもらいたいという願いを込めて学校を贈ったのです。そして、このことが、とりもなおさず小林虎三郎に対する恩返しになると思っております。
しかし、実は我々が米百俵の精神を真に伝えたかったのは現在の日本だということなのです。カンボジアを鏡として今の日本を写した時、今まで見えなかった日本の悪いところが見えてくるのではないか。そして、今の日本こそ真の意味で米百俵の精神を、小林虎三郎の思想を、新聞、ラジオなどを通じて日本にフィードバックしたいと考えたのです。河井継之助や山本五十六は全国的に名を知られています。しかし、小林虎三郎を知る人はまだまだ少ないのが現実です。
長岡高校の、又阪之上小学校の建学の精神を是非全国の人に知ってもらいたいと思ってこのプロジェクトを始めたのです。

以上、概要、このような話をしました。2回目の話は少し難しかったかもしれませんが、いずれ子供たちも理解してくれる時がくると思っています。

子供たちの反応について

小学校の学級崩壊等のニュースもあり、最初は少々心配しておりましたが、さすがは阪之上小学校、よく躾がゆきとどいており、大変気持ちよく話をすることができました。私の話もほとんど理解していたようです。質問もたくさん出まして、特に2回目の時は時間を大幅に超過してしまいました。いずれ、この子供達が我々の後を引き継いで米百俵の精神をさらに広めてくれる事を期待しています。


                                            以 上


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