阿弥陀如来伝承
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養老二年頃(718年頃)、行基がこの地の水難者の供養のため、観音菩薩像を彫り、山沢の宝寿庵を建立した。

やがて本菩薩像は、夢告で大和国(奈良県)芳野へゆきたいとのことで、山沢の人が奉じて旅していたが、途中で同じような一行にあい、話を交わすうち、芳野の阿弥陀如来が越後の宝寿庵に移りたいとのことで、お送りする途中であったとのことだった。

そこで、美濃国(岐阜県)落合で両仏を交換し、持ち帰り安置したのが山沢の阿弥陀如来像であるといわれている。


なお、この如来像は慈覚大師(円仁)の作であると伝えられている。

※行基

奈良時代の僧。和泉の人。道昭に師事。畿内を中心に諸国を巡り、民衆教化や造寺、池堤設置・橋梁架設等の社会事業を行い、行基菩薩と称された。初め僧尼令違反で禁圧されたが、大仏造営の勧進に起用され、大僧正位を授けられた。(668〜749)

※慈覚大師(円仁)
天台宗山門派の祖。天台座主。下野(しもつけ)の人。最澄に師事。838年(承和5)入唐し天台教学・密教・五台山念仏等を修学、847年(承和14)武宗の仏教弾圧の中を帰国。常行三昧堂を建立し、東密に対抗する台密の基盤を整備、比叡山興隆の基礎を確立した。著「金剛頂経疏」「入唐求法巡礼行記」など。諡号は慈覚大師。(794〜864)