中川清兵衛
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中川清兵衛は、老舗中川津兵衛の分家の長男に生まれ、本家を継ぐべく養育 されたのであるが、家を出て横浜に行きドイツ商館のボーイとなった。

たまたま、横浜のドイツのワーゲン商会が、初めてビールを輸入したので、ビール醸造を思い付き、 明治6年商館主の帰独に付いて、ドイツに渡り、ティボリ工場で、ビール醸造技術を学んだ。 ひたすら、技術習得に専念し、チンメルマン社長他工場長・技師長連名の、豪華な羊皮紙の 免許状を与えられた。

明治8年(1875年)帰国するや、札幌で、日本最初のビール醸造を始めたのである。 まさに、本邦ビールの先駆者である。

平成12年6月に、中川清兵衛が生まれた中町、中川家跡地(現在の駐輪場)に清兵衛の偉業を称えて「中川清兵衛生誕碑」が建設された。