藤井宣正(ふじいせんしょう)
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藤井宣正は文豪島崎藤村の短編小説「椰子の葉陰」の主人公のモデルになった人物である。

宣正は安政6年本与板光西寺に藤井宣界の次男として生まれた。 旧制長岡中学、慶応義塾、東京帝国大学哲学科に学んだ。卒業と同時に西本願寺文学寮教授となり、明治25年藤村が「破戒」で蓮華寺のモデルにした飯山の真宗寺井上寂英の長女瑞枝と結婚した。この二人の仲を取り持ったのが入江寿美子、すなわち、後の伊藤博文夫人であった。

明治30年に文学寮教授を解任され、同年埼玉県第一尋常中学校校長に就任。(現浦和高校) その後明治33年、本願寺よりヨーロッパにおける政教調査のためロンドン派遣の命を受けた。この後の宣正の生涯は藤村の「椰子の葉陰」に書いてある通りである。

※「椰子の葉陰」:明治37年「明星」3月号に発表された。

藤村が「破戒」で蓮華寺のモデルに借りた信州飯山の真宗寺に取材した実話である。
藤井宣正が本願寺よりインド仏跡探検隊参加の命を受け、ロンドンを発し、インド、セイロンの調査を終えたのち病に罹り、一旦は小康を得たもののフランスのマルセイユで帰らぬ人となった。その若き学僧の旅先から真宗寺あてに書かれた絵葉書文や日記をもとに小説「椰子の葉陰」は書かれている。未知を求めて異郷の地で孤独な死を迎えた青年への哀惜の情は藤村自身の詩情と重なり、主人公への共感をより一層強いものにしている。