広瀬玉圃(ひろせぎょくほ)の碑
EXITBACKNEXT

都野神社奥の八幡公園入り口近く、戦没者慰霊碑の横に明治3年(1870)3月、正徳館(藩校)大助教池上惇、同小参事久住一昌ら塾生有志により建立されたものである。

広瀬家は代々与板藩に仕えており、玉圃(1790〜1863)は、幼い頃より学問を好み日夜勉学に励んだ。

八代藩主井伊直経に登用されて藩校の教授となり、また、九代藩主直充の*侍読*も務めた。

維新後、玉圃の門人の多くが与板県政の重職についたという。

玉圃は、自分の教育哲学を次のようなたとえで説明している。

「教育は田を治めると同じで、今土地を開墾し、種をまく。これは必ず後の世において結実することになるのである」


※【侍読】
高貴な方に侍して学問を教授する学者の称。経書・史書を進講した。後世は侍講という。