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都野神社境内の八幡公園を登っていくと、良寛詩碑の一段上にこの碑はある。 八尾進斉は通称収三といい、進斉は号である。 出身は三重県久居市(ひさいし)で、安政5年(1858)9代直充の時代に100石3人扶持で文学教授に迎えられた。 進斉は藩校で教える傍ら私塾を開き多くの子弟を教育した。学派は仁斎学派と思われるが、定かではない。 明治維新になってからは、明治元年(1868)在京公務人として明治政府との折衝にあたり、その後藩権大参事となって藩政に尽力した。 この碑は進斉没後その門人有志により建てられたものであり、高さ3.5メートル幅41センチと個人の碑としては与板で最も高いものである。 写真ではよく見えないが、書は明治三筆の一人中林梧竹によって、隷書体で書かれている。 |