松下無毀(俊之助)の碑
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この碑は都野神社境内八幡公園内の良寛詩碑の左手にある。

建立したのは与板藩医の孫で家老松下源左衛門の参謀として戊辰戦争を戦った久住秋策らである。

松下俊之助(無毀)は慶応4年(1868)5月28日の与板戦争で火災となった与板城の藩士を救わんと城中へ入ったが、弾丸にあたり火中に倒れた。

また一説には、自ら率先して敵陣に突入して戦死したとも伝えられている。

実は5月の3日に、与板藩江戸藩邸より新潟港に回送された鉄砲受け取りの責任者だった松下俊之助はその大切な鉄砲を会津藩士に強奪されてしまっていた。

そこで、責任感の強い俊之助は死に場所を求め、自ら火中に自刃したとも伝えられている。

戦局はその後政府軍優位となり、奥羽北越同盟軍を敗走させた。