
交通:
長岡駅より、小島谷行
きバス60分。
塩之入良寛歌碑前
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良寛は晩年になって、与板から塩之入峠を越えた海側の村、島崎に住んだ。 与板には、良寛の代わりに山本家を継いだ弟の由之が隠棲をしていた。
そこで二人は、かわいそうな弟よ、老いた兄よと、慰め合い、いたわりあって、 行ったり来たりした。 しかし、そこに邪魔物があった。それが道の中ほどの、塩之入峠だった。
兄弟には、まがり、くねった、上り下りが難儀だった。 塩之入峠は、100メートル余の高さであるが、当時は険しくて、人々を苦しめた。 昔、峠の下から塩分の入った水が湧き出ていた事で、その名が付いたといわれている。
この坂道が、与板藩の命により、文政11年改修された。良寛は喜んで、次の歌を詠んだ。
塩のりの坂は名のみになりにけり
行く人しぬべ万代までに
歌の意味は、塩のり坂がけわしいというのは名まえだけになってしまったことよ、 この峠を通る人々は、後の代まで永久にその有難さを思いしのんでほしい、というのである。
この歌の碑が、いまも、坂道の道路脇に、ひっそりと、建っている。
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