父以南誕生之地
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交通:
長岡駅より、与板行き
バス40分。
与板中町下車5分

良寛の父・以南は与板町の割元※1庄屋・新木与五右衛門の次男として生まれ、出雲崎町の名主・橘屋山本家へ婿入りをした。生家跡前には、橘以南誕生地と刻した標識が立てられており、跡地には、
      

朝霧に一段ひくし合歓の花

            以南書


と自筆の発句※2を刻んだ石碑がある。発句の横には、「割元新木家跡 橘以南誕生之地 青楓書」と、津田青楓の識語も彫られている。
以南は、地方俳諧の宗匠として有名で、そのためか、家業よりは風流の道に熱心であった。晩年、京都に大きな俳諧の会が催されると聞き、出雲崎を出たまま、京都で入水自殺をとげた。この死について、小林一茶も文書に書き残している。


※1 割元:「わりもとそうだい(割元総代)」の略。━‐そうだい【割元総代】 江戸時代、郡代・代官の下にあって一郷の名主・庄屋を支配し、おもに法令の伝達と年貢の諸役の割り当てにあたった半官的職名。時代や場所により大庄屋、割元名主、庄屋、惣庄屋とも称した。  ※2 発句:(漢詩・和歌で第一句または第二句をいう「はっく(発句)」から)連歌や俳諧の連句で、最初の五・七・五の一七音からなる句。切字・季語を含み、格調の上で付句とは違った完結性を必要とした。後に俳句としてこれが独立して詠まれるようになってからは、連句ではそれと区別して立句(たてく)ともいう。