由之隠栖遺跡
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交通:
長岡駅より、与板行き
バス40分。
与板中町下車0分

良寛の弟・由之は傾きかけた山本家を継いだが、家運挽回のために無理をして、町民との訴訟問題が起こり、しまいには家財没収・所払いになってしまった。その後、全国を放浪した由之が隠棲の地与板に居を定めるようになったのは、65歳の文政9年2月のことであった。初めは、山田家に留まっていたが、その後叔母ミナの嫁ぎ先であった中川弥五兵ェ家の一隅に松下庵を建て隠居した。天保2年良寛入寂の後は出雲崎に居たが、その庵の荒廃如何にすべしと与板の岩子(おそらく中川家の女)からの問い合わせに
   

身ひとつは心やすくそ旅寝する

月と雨とにやどはもらせて


と、返歌した。

由之は良寛死後3年目の天保5年1月13日、73歳で死亡した。