良寛の三条地震見舞状
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所在地:
河川公園内・碑の里

地しんは信(まこと)に大変に候
野僧草庵は何事もなく
親るい中死人もなくめで度存じ候

うちつけにしなばしなずにながらえて
かかるうきめを見るがはびしさ

しかし災難に逢時節には災難に逢うが
よく候 死ぬ時節には死ぬがよく候
是はこれ災難をのがるる妙法にて候
             
              かしこ
               良寛
臘八(ろうはち)
山田杜皐老          良寛
与板

この書簡は文政11年(1828年)三条大地震の際に山田杜皐に宛てたもので、良寛の書簡中最も有名なものである。
長明寺過去帳に残された記録によれば、三条町は地震後の大火で残らず丸焼け、今町・見附も丸焼け、与板では横町東の片町57軒、稲荷町・新屋敷残らず焼失。死傷者については、即死34人、負傷者263人という大惨事であった。

この書簡の大意については説明の必要は無いであろうが、『うちつけ』は突然、臘八(ろうはち)の臘は年の暮れという意味だから、『臘八』で12月8日の意であろう。
また、文政11年は良寛71歳、和島の木村家在住の年である。

後段の『しかし災難に逢時節には・・・・・』以降の文については、良寛研究家誰もが『達観した禅坊主らしい死生超越の大安心を吐露したもの』と驚嘆している。