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積翠菴の後方、一段高い場所に十一面観音堂はある。 この十一面観音の由来は、旧所有者である三輪家の家伝によると、豊臣秀吉が朝鮮出兵の際に持ち帰ったもので、新羅王朝時代の作といわれている。それを後に国会議員になった当時の当主・三輪潤太郎が明治24年頃奈良で入手、与板に持ち帰って、堂を建て三輪家の護持仏としたものである。 この十一面観音は衆生を済度する六種の観世音菩薩の一つで、頭部には人間の迷いを救う十一の顔を持ち、高さは1.76メートルの立像で、連華座の上に安置されている。 ところが、近年手が折れるなど、傷みがひどくなったため町は1997年より一年がかりで東京の仏師に依頼して修復作業を行ってきた。その結果、永年の汚れを落としてみたところ、衣の部分に金箔を張った美しい文様(せっきん紋)が現れた。このことから、この十一面観音は室町時代の仏像ではないかという見方も出ている。
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