井伊神社
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写真@祭礼の幟旗
写真A登り口
写真B神社正面
写真C神社横板
写真D神社内部
写真E井伊神社全景
与板藩主・牧野家が元禄15年(1702年)信濃の国・小諸へ移封されてから5年目の宝永3年(1706年)、井伊直矩(なおのり)が遠州掛川(現・静岡県掛川市)から与板へ移封されて2万石を領した。井伊神社の由来は、この井伊家の稲荷信仰の象徴で、御館(殿)稲荷宮と呼ばれたのがその始まりである。

前波善学氏編「与板町史」によれば、安政3年(1856年)2月15日『御殿稲荷宮に賊が入り、御鏡3面の中一面、神具紛失・・・』とか、文久2年(1862年)5月8日『御館稲荷宮の祭礼で、藩主はじめ御近衆の挿花展が開かれ・・・』などの記述が見られるうえに、その社(やしろ)が7代直暉(なおてる)の文政6年(1822年)に完成した与板城本丸の上方に位置していることなどから、当時の井伊家にとっては重要な神社であったものと思われる。

この井伊家は、初代井伊直矩から直安(なおやす)の代、明治2年の版籍奉還まで10代、164年間続いた。そこで、この神社を井伊神社と改称すべく、氏族の総代・岡田左源太、奥山源十郎らの出願と戸長・大久保弥三太の奥書で明治13年(1880年)現在の井伊神社の公称が認められた。

祭礼は当初、5月15日に行われていたが、最近では5月の第三日曜日に、井伊家の子孫をお迎えして北新町、長町、下丁、泉町、馬場町の五ヶ町の年行司によって執り行われるようになった。